ーお世話になっている皆さまへー
先日、最愛の母が旅立ちました。
今はただただ淋しい気持ちでいっぱいですが、私とご縁のある方へ感謝の気持ちを伝えたくて、ここに想いを綴ります。
2016年10月4日、父が病で突然旅立ったあの日。
深い悲しみの中で「これからは姉妹で母を支えていこう」と心に誓ったことを、今も昨日のことのように覚えています。
母に淋しい思いをさせたくない。
何かあればすぐに駆けつけたい。
当時会社員だった私は、2ヶ月に一度は仙台に帰れるよう、1年後に会社を辞めてコーチとして独立しました。
何のあてもなかった私の背中を押したのは、「母を安心させたい」という気持ちと、コーチ仲間に「挑戦する姿」を見せたいという思いでした。
書道家の父方の祖父は、よく母にこう語っていました。
「息子はとしこさんと結婚できて幸せ者だ。ゆかちゃん達が優しくて親孝行なのは、としこさんがあたたかい愛で孫を育ててくれているからだよ」
母がその言葉に嬉しそうに微笑む姿を見て、
もっと親孝行をしたいと強く思ったものです。
去年少し体調を崩した母を心配し、この1年は毎月仙台へ帰って母のサポートをしていました。
運動不足の母のために、妹と3人で毎日欠かさずテレビ電話をつないでラジオ体操をして、「お母さん、今日も綺麗だね」と声をかけるのが日課でした。
毎朝綺麗にお化粧をした母が、電話の向こうで嬉しそうに「そうかい?」と笑う顔が、今も昨日のことのように目に浮かびます。
9月15日、いつもの時間にテレビ電話をかけても母が出ませんでした。
異変に気づいて、すぐに東京から駆けつける事が出来たのは、私が出張や仕事で参加できない朝も、妹が1日も欠かさず母に連絡し続けてくれていたおかげです。
母が倒れてからの2週間、私はたくさんの仲間に支えられました。
入院中の病院から、大阪で危篤の知らせを受け、研修へ向かおうとする私に「ゆかさんに後悔のない選択をしてほしい」と背中を押してくれた仲間の言葉。
省庁や大手企業様での研修の数々を、急なタイミングにも関わらず快く引き受けてくれ、素晴らしい研修を提供してくれた仲間の頼もしさ。
「ゆかさんが、少しでも大切なお母さまと一緒に過ごせますように」と、陰で沢山の調整をしてくださった思いやりの数々。
コーチ仲間のあたたかな思いやりのおかげで、仕事を憂うことなく全力で、母に感謝と愛を伝える時間をもらいました。
まるで奇跡のように、私たちは母の命が尽きる最期の瞬間にそばにいて、頬をさすり、手を握り声をかけることができました。
母の意識はありませんでしたが、心臓が止まろうとしている瞬間、母の閉じた瞼にジワっと涙が溜まりました。
きっと私たちの想いは届いていたのだと信じています。
母は私やTCSの仲間たちのコーチ活動を応援し、その活躍を楽しみにしていました。
大好きなババター先生のプレイリストを毎朝聴き、仲間の活動記事にまで「いいね」を届けていた母。
「ゆかさんのお母様から”いいね”もらったよ!」と、よく声をかけてもらったことも忘れられません。
TCSテキストの見開きにある、私の大好きなメッセージ。
『大切な人のために 手を差し伸べられる人でありたい』
この10年、母のためにと走ってきた道のりの中で、気がつけば私自身も、多くの仲間から手を差し伸べてもらっていました。
母との時間を心ゆくまで過ごせたのは、たくさんの仲間たちが差し伸べてくれた、あたたかい手のおかげです。
最愛の母と最期の時間を一緒に過ごせたことに、感謝の気持ちでいっぱいです。
本当に本当に、ありがとうございました。
どんな時も心から信頼し、温かく見守り、惜しみない愛と応援をくれた母のためにも。
これからさらにいろんなことに挑戦し、悔いなく人生を楽しみ、人を大切にし、私らしい道を歩んでいこうと思います。
深い感謝を込めて。
p.s.
仙台に滞在できるよう数々の調整をしてくださり、昨日の葬儀に美しい花と共に想いを届けてくださった代表の馬場コーチ、事務局の長峰さん。
この場を借りて、深く御礼申し上げます。
また、急遽研修を引き受けてくださった森真貴子コーチ、川越くみコーチ。
サポートを担ってくださった鈴木祐美コーチ。
突然の訃報に温かいお気持ちを寄せてくださったアンドトラスト法人事業部の仲間たちへ、心から感謝いたします。
本日、本来なら大阪での法人勉強会とカラオケ大会の日でした。
行けなかったこと、本当にごめんなさい。
次の機会には、母の大好きだったX JAPANを歌わせてください。
どうか第二弾を企画させてくださいね。







